例年のように今年(2006年)を振り返ってみる。
最近、よく目にする言葉『ドラッグ・ラグ』。
いい言葉ではないが、それでも、そういう状況が日本の現状であることを認識させ、世論を味方につけることの力を今更ながらに認識させてくれた。(特にに役所や永田町でウケがいい。何故、そう いう言葉が生まれたのかも正視しないでね。)
僕たちはこの『ドラッグ・ラグ・ブーム』を逃がす手は無い。(もちろん、ブームが一過性でないように願うと同時に、こんな言葉が二度 と生まれないように努力し、二度とこんな言葉がムードで語られる時代が来ないようにする必要はある。)
僕の部屋の壁に(煙草のヤニで茶色に変色したが)2000年のある日の朝日新聞の切抜きが貼ってある。
それは、自分が「がん」になったある医師が日本以外で標準的に普通に使われる抗がん剤が日本では使えないことを、訴えた記事だ。
その後、こういうことを契機に「医師主導型の治験」が制度として、認められた。
企業努力が少ないと言われれば、「はい、確かにそうです」と僕は言いたくなる。
また、今年のもう一つブームなのが『世界同時開発』や『アジアンスタディ』。
これも、日本の新薬開発が日本以外の国と比べて数年も遅れていることを反映して出てきた言葉だ。
しかし、こんなブームやムードの中、実は着実にその組織を自ら変革しているところがある。
それは民間企業でも大学でもなく「総合機構」だ。
たまに総合機構のサイトを覗くといい。(CRCの方はモニターに比べると若干、なじみが薄いかもしれませんが、これを機会に是非、時 々覗いてください。)
↓
http://www.pmda.go.jp/
総合機構も製薬業界からの不満を今更ながらに、解消しているだけだという声もあるだろう。
しかし、その不満を解消するのがいかに大変かは、同じように組織に属している僕にはよく分かる。
なんなら、来年も今年と同じコトを踏襲していけばいいや、という組織人は、民間企業の中にも多い。
何を隠そう、実は「前例主義」は何もお役所の専売特許ではない。
30年以上の歴史がある組織なら、まず、間違いなく、保守的な人はいる。
(僕も最近になって驚いたのだが、まるで自分の肩書きが自分の人格だと言わんばかりに「それは認めない!」と言われた。そこには論理も、理屈もなく、「ただ、俺の言うことに従え」という前代未聞の(僕にとっては)体験だった。僕は面白くて、その尻馬に乗り、もう、 新しいことはこの会社では一切やらないでおこうと思ったのだが(そのほうが、僕も楽だしね)でも、どうも悪い癖はなかなか抜けなくて、影でこそこそと、新しいやり方をさっさとやっている。もちろん、会社の上層部の目の届かないところでね。……とここで書くと、社内でまた何か言われそうだが、そんなことは『馬耳東風』)
話は横道にそれたが、総合機構の活動、特に「新医薬品に係るGCP調査の進捗状況等の確認について」医薬品医療機器総合機構 信頼性保証部長 については感動すら覚えた。
こんなこと、一昔前の当局では考えられない状況だ。
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http://www.pmda.go.jp/shonin/GCPshinchokukakunin.html
……と言うことで、最近の総合機構の動きは評価に値する。(審査のポリシーも検討しているらしい。)
予算や人材の少ないなか、頑張ってください。応援します!
また、個人的には今年の夏からの母親の「製造販売後臨床試験」への参加が僕にはインパクトがあった。
地味な臨床試験なのだが、その参加打診から、結局、副作用(高度な倦怠感)で辞めることになった経緯を僕は母を通して実体験した。
普通の日本人なら、きっと思っているだろう、治験やら臨床試験への印象と、そこに参加することの不安、それを救ってくれるCRCの方の活動、医師の真摯な態度への共感、そして、自ら参加を決意しながら、これまた副作用のためとは言え、自ら試験を辞めたいと言うことの困難さ、これら様々なことを体験でき、そして考えた。
普段、たとえば目標症例数1200例、などという臨床試験、治験と関わっていると、その1200人の個人個人のことは、その数の向こうに影がカスム。
「高度な倦怠感」という事象はつかめるが、その人の「なんぎってば」(新潟弁で「疲れた」とか「体がだるい」)という言葉を直に耳に することはない。
僕はこの経験をまた、来年度の新入社員の導入研修で生かしていきたいと思った。(ついでとは言え、なんですが、新たに教育研修部に参加されたIさん、頑張ってください。期待しています。僕も、自分の持っているノウハウをあなたに伝えていきたいと思います。)
最後に……。
吉田拓郎とかぐや姫のメンバーが31年ぶりに「つま恋」でやったコンサートでは、最後に観衆が一つになって「今日まで、そして明日から 」を唄った。(最近、和田アキ子 も唄っている。)
「私は今日まで生きてきました、そして、今、私は思っています、明日からもこうして生きていくだろうと。」
25年前、大学の友人とこの歌をボロアパートでギターを弾きながら一緒に唄ったのだが、その友人が今年の年頭に肺がんで亡くなった。
ここで冥福を祈りたい。
そして、僕はこの一年間をなんだかんだとすったもんだしながら、生きながらえた。この幸運に感謝したい。
◆架空の製薬会社「ホーライ製薬」
◆臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」