この事件で課題になっているのは科学者・医学者等の良心の存在。
功名心にかられてデータをねつ造する科学者。
金銭的魅力に負けて良心を悪魔に売り渡す科学者。
・・・・・・どうしたらいいんでしょう?
僕は、こう思います。
「良心」は自分自身に対する最後の砦です。
「良心」は自分に対する「尊厳」のためにあります。
人間としての最低限の尊厳、死守したいものです。
もし、それを失ったら、自尊心が無くなります。
自尊心が無くなると人生どーでもよくなります。
「良心」を捨てることは世の中に対する「礼」を逸することにもなります。
「良心」を捨てることは、僕たちが営々と築き上げてきた世の中に失礼です。
実は良心を育てるには、日常の暮らしが大事。
良心を育てたいなら、日々の暮らしを大切にすることです。
日々の暮らしとは、要は「人生」です。
人生をまっとうに生きる、これだけです。
科学者として人間として一流であるためには、人生をまっとうに生きることです。
自分の存在なんて、この宇宙にとって、ちっぽけな存在です。
そんなちっぽけな存在だからこそ、まっとうに生きたい。
それすら無くなったら、文字通り、僕の存在なんて「無」です。
僕たちの存在を許しているのは良心なのです。
科学者にとって、「良心を育てる」教育よりも、「良心を捨てない」ための教育が必要なのかもしれない。
製薬会社の社員にも同じことが言える。