2014年04月19日

『GCPの枝葉末節にとらわれ過ぎないようにね』的な発想も大事だと思いませんか?

今週のホーライ製薬は「ヘルシンキ宣言」について。

GCPにもヘルシンキ宣言のことが記載されていますよね。

でも、僕たちはどちらかというとGCPの「手続き論」に右往左往しています。

やれ、「治験分担医師・協力者リスト」は「予め」医療機関の長の了承が必要だ、とか、やれ「治験の契約終了後」にSDVをする時はまた、契約が必要か?とか。

まぁ、私のGCPメルマガでもどちらかというと、そういう手続きについて質問が多いので、あまり大きな声で言えませんが。


でも、本当は一番大切なのは、「治験に対する姿勢」とか「仕事に対する倫理観」とか、なんですよね。

極論を言うと、GCPは、結局「被験者の人権の保護、安全の保持及び福祉の向上を図り、治験の科学的な質及び成績の信頼性を確保」することだけを考えればいいのです。

もちろん、「同意」は「治験薬投与の前に」という手続き論的なことはありますが、それ以前に上記のGCPの根源的な存在意義を捉えていないといけません。

GCPの重箱の隅を突いたような質問とか、GCP「文言」に捕らわれたり、「真面目な」GCPの解釈に終始したりすることは、あまり重視しなくてもいいと思います。

GCPは「学問」ではないのですから。

(製薬協の「治験119番」を読んでいると、「こんなのどっちでもいいんじゃないの? 要は誰がやったかが分かればいいんじゃない?」的な感想を正直、僕は時々、持っています。


「ヘルシンキ宣言」にも、もちろん、手続き論的な項目が多いですが、それ以上に「医学的研究」に対する医師の「姿勢」を整える項目も少なくありません。

たとえば、「「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」ことを医師に義務づけ、また医の国際倫理綱領は、「医師は、医療の提供に際して、患者の最善の利益のために行動すべきである」と宣言している。」とか「医学研究の対象とされる人々を含め、患者の健康、福利、権利を向上させ守ることは医師の責務である。医師の知識と良心はこの責務達成のために捧げられる。」とか。

ただ、このような抽象的な原則をどう守るか、というと難しくて、「ヘルシンキ宣言」の言葉だけをなぞってもよく分かりません。

なので、上記のような原則論を守るために「手続き論」的な項目があるとも言えるわけですが。


今、僕は新入社員の導入研修をしています。

その研修では、こんなことも言います。

「GCPを守ったけれど、患者は死にました、というのは本末転倒だ。」とか「GCPの手順を守ろうと手続きに追われていたら患者が重症化しました、なんていうのは倫理的ではない。」とか「GCPの解釈に困ったら、「被験者の人権の保護、安全の保持及び福祉の向上を図り、治験の科学的な質及び成績の信頼性を確保」を思い出せ。これを守っていたら、そうそう大きく外れることはない」とか。


ディオバン事件についても、たとえば、「ヘルシンキ宣言」にある次の1文をしっかりと理解していれば、あんな問題は起こらなったのでは、と思います。

「すべての研究者、著者、スポンサー、編集者および発行者は、研究結果の刊行と普及に倫理的責務を負っている。」


また、次の「ヘルシンキ宣言」の1文も、昨今のデータ偽装疑惑を再発防止に役立ちます。

「人間を対象とする医学研究は、適切な倫理的および科学的な『教育と訓練』を受けた有資格者によってのみ行われなければならない。」


今の医師(治験責任医師・治験分担医師は特に)は倫理的および科学的な『教育と訓練』を十分に受けているのでしょうか?

僕は数年前に、ある国立大学の付属病院にGCP絡みの講演に行ったことがあります。

その時の研修の主宰者が「こういった研修になかなか医師が集まらなくて・・・・・・。」と嘆かれていました。


治験の適切な運営には製薬会社の社員はもちろんですが、同様に治験責任医師等に対する教育・訓練も必要です。

場合によっては「この研修を受講しないと先生のキャリアアップに支障を来しますよ」的な遠回しの「脅し」も時には有効かもしれません。


GCPにしろ、「ヘルシンキ宣言」にしろ、手続き論的な項目は「教えて、暗記してもらう」という手法でなんとかなりますが、「倫理的原則」や「倫理的責務」を学んでもらうのは、それほど簡単ではありません。

でも、たとえば、企業ではよく「コンプライアンス研修」等もやられています。

そういう研修では世間を騒がせた具体的な事件をケースを紹介して、「こんなことをやってしまうと、社会的に、あるいは法律的に制裁されますよ」的な「アメと鞭」で言うと「鞭」的な研修をやったりします。

あるいは、「こういうことをやったら、倫理的にどうなんでしょ?」とか「こういう事例は倫理的に問題ありませんか」的なケーススタディをします。


「ヘルシンキ宣言」はおおもとは戦争時の捕虜に対する「非倫理的な人体実験」とか「精神疾患の患者に対する非人道的な実験」などの反省からできた宣言です。

しかし、この「ヘルシンキ宣言」が出されたあとも世界各地で「非倫理的で非人道的な人体実験」や「新薬に不利なデータの隠ぺい事件」が発覚しています。

(「非倫理的 人体実験」や「非人道的 実験」、「新薬に不利なデータの隠蔽事件」等でネット上を検索してみてください。)


GCPや「ヘルシンキ宣言」の枝葉末節にとらわれ過ぎに本質を追求していきましょう。

でも、その前に、やっぱり、GCPや「ヘルシンキ宣言」を熟読するのが先決ですが。(読まずに「本質」も何もあったもんじゃありませんからね。)

posted by ホーライ at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 治験の倫理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。