2014年03月22日

50人が死亡しても1億人が助かればいいのか?

医薬品のリスクとベネフィットと家族の想い

医薬品には副作用が不可避なところがあります。

僕が普段、飲んでいる頭痛薬は胃腸障害があります。

でも、胃腸障害を防ぎつつ、頭痛薬を飲んでいます。

胃腸障害の不快感以上に頭痛薬を治すことの方が、僕にはベネフィット・メリットがあります。

さらに、僕が常用している抗うつ薬には便秘や口喝等の副作用がありますが、それ以上に、僕の抑うつ感を取り除いてくれることのほうがありがたいので、抗うつ薬は使われ続けられます。


ワクチンでも同様なのですが、ただ、ワクチンは接種が「義務づけられている」ものがあります。

そういう接種が義務付けられているワクチンにも副作用があります。


さて、ここからは、「例えば」の話です。

例えば、強毒性のインフルエンザワクチンが発生した場合、そのインフルエンザに罹患して死亡する確率とワクチンを接種して死亡等の副作用にかかってしまう確率が問題となります。

もちろん、この場合、ワクチンを接種したほうがインフルエンザで死亡するより確率的に低いので、ワクチンを投与することの正当性があります。

でも、確率的と言っても、自分の息子がワクチンの副作用で死亡してしまえば、そんな疫学的な確率なんて、クソくらえ!的になるわけです。

日本という国にとっては、ワクチンで死亡した人数が50人でも、強毒性のインフルエンザが全国に流行してしまった場合に想定されている死亡者の数より低かったら、ワクチン接種が正当化されます。

でも、繰り返しますが、日本が助かったからと言って、自分の子どもが副作用で死亡したら、それは問題です。

せいぜいが国に対して損害賠償の訴えを起こすぐらいで、それでも、子どもは生き返ってきません。


ワクチンに限らず、医薬品全般に言えますが、常に私たちはリスクとベネフィットを考えて判断を強いられます。

そんな時、一般の人はどれだけの情報を与えられるでしょうか。

治験が日本で進まない理由のひとつに「同意取得のための説明文書」中に多くの副作用が説明されているからだ、という説があります。

でも、みなさんもご存じのとおり、治験薬といってもたいていが既に使用されている医薬品と副作用についてはほぼ同等です。

しかし、一般市民の人は日常診療ではほとんど副作用について説明されないのに、治験になると急に副作用のことがかなりの時間をかけて説明されます。

それで、一般市民の人は恐れをなすとも考えられます。



医薬品の開発って、難しい。

副作用で50人が死亡しても1億人を救うことができれば、その医薬品は成功なのでしょう。

でも、50人の家族にとっては、そんな「成功」なんて言葉は意味をなしません。

僕たちは難しい世界で働いていることを再認識しましょうね。


posted by ホーライ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 治験の課題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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